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まさかのまつさか

松阪めぐり

竹口家・富山家

射和町の隣の中万町にもいくつかの豪商の家を見ることができます。軽粉や木綿を扱い繁栄した、紺田家・堀木家・竹口家・山上家などの豪商です。

富山家は江戸に呉服の店を出していた豪商で「伊勢の射和(いざわ)の富山さまは、四方白壁八棟造り、前は切石切戸の御門、裏は大川船が着く」と江戸のわらべ唄に歌われたほどです。
竹口家はちくま味噌で有名な老舗ですが、HPによると「当社は初代竹口作兵衛松方(さくべいよししも)が元禄初(1688)年深川永代橋にて味噌醸造を始めたことを創業としております。 味噌で「ちくま」というと信州の「千曲」を想像されることと思いますが、当社の「ちくま」は創業者の故郷の地名、伊勢国乳熊郷(ちくま)郷(現在の三重県松阪市中万町)から由来しています。」と説明されています。


いにしえの繁栄を想い歩いてみると時代の移り変わりを感じます。

国分家・竹川家


松阪市射和町(いざわちょう)は櫛田川の流れに沿って古い町があり、両郡橋を渡ると多気町相可です。この界隈の繁栄は、室町時代から明治初期頃までと長い歴史を持ったところです。
両郡橋の射和町の交差点の所には、食品会社で知られている「国分家」その前には射和文庫をつくった竹川竹斎の「竹川家」と古くからの家があります。


国分家は醤油醸造場を土浦市に設け、江戸日本橋本町に店を構えて屋号を「大国屋」と称しました。「亀甲大」印の醤油として評判が良かったようで、銘柄「むらさき」は高級醤油として有名になり、今でも料亭や寿司屋でしょうゆを「むらさき」と呼ばれています。
竹川竹斎翁は、書籍1万巻・古書画・古物等を集めて開いたのが「射和文庫書院」です。また地場産業として射和萬古・お茶・桑の生産も始めました。竹斎翁は、裏千家や勝海舟と親交があり「海防護国論」や「護国後論」を著しています。
櫛田川の上流の丹生で採れた丹砂(水銀鉱石)を加工して造る軽粉(伊勢白粉)によって中世以来繁栄し、室町時代後半以降、伊勢神宮の御師が布教とともに各地に軽粉を持ち運び、伊勢白粉として全国に知られました。明治になるまで軽粉業は繁栄を極め、最盛期の室町末期には釜元が83軒もあったそうです。
射和の著名な豪商は国分家・竹川家以外に富山家・家城家・山本家・長井家・小野寺家などがあります。 国道のバイパスができたため両郡橋の交通量が少なくなり、古い街並みの界隈は静かにゆっくりと散策できます。


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