小津安二郎青春館
松阪が生んだ映画の巨匠・小津安二郎は、東京の深川で生まれましたが父の希望により故郷の松阪で10歳から教育を受けたのち、1年間代用教員をしました。20歳になると憧れであった映画界に進むため、東京・蒲田の撮影所に撮影助手として入りその後演出部に移り大久保忠素の助監督となりました。そして、映画界の巨匠といわれるまでになりました。
自宅が松阪の歓楽街の真ん中にあり、周りの環境は大人社会でとてもませた少年だったようです。近所にあった「神楽座」という映画館が人生に大きな影響を与えたのです。旧制宇治山田中等学校(現・三重県立宇治山田高等学校)に入学しましたが、映画に熱中し寄宿舎からよく抜け出して映画館に通っていたそうで、その見た映画に魅了され後に「映画研究クラブ」を結成するなど熱狂的な映画ファンになっていったそうです。あまりにも規則を守らないので、寄宿舎を出され列車通学になった後も、下級生に列車内でよく映画の話をしたようです。当時、映画に学生が行くことは禁止だったのでかなりの無茶をしてたようです。
2003年(平成15年)12月12日、生誕100年を迎えたのを記念して小津安二郎監督の松阪の実家のところに、松阪市と松阪小津組が協力して「小津安二郎青春館」を開設し、青春時代を彷彿させる品物や関係写真などが展示しています。
小津安二郎監督の映画スタイルは非常に独特で、自分のスタイルにわがままにこだわった監督だったようです。小津映画は雰囲気からして他の映画とは性質が異なり、何か落ち着いた空間美を感じさせる。ゆえに小津映画は見れば見るほど味わい深く、心に優しく残ります。
小津映画のテーマは「親子」だったのです。日本の一般的な家庭の何でもない日常を描いた。その飾らないストーリーと、絵画的ともいえる頑固なスタイルが、人気を得ることになったのだと思われます。ハリウッドでも高い評価です。 大震災に見舞われ「絆」が大切にされるようになりました。小津映画はそういう意味においても価値が高い。若い世代のためにも、戦後間もない日本家庭の生活感を伝える遺産として、もっと紹介されていってほしいですね。
青春館は、参宮街道(旧伊勢街道)に面しており、大正ロマンを感じる造りです。一度お立ち寄りください。