殿町 同心町あたり〔御城番屋敷〕
松阪市殿町の旧同心町界隈といわれるところは、老舗旅館の八千代さんから400mほど続く武家屋敷があったところで、今も槇垣にはさまれた美しい通りのとても風情あるところです。
松坂奉行などの公職についていた侍の住まいがあり、江戸中期の1700年頃に在住していた侍は約100人ほどで、同心が61人、鳥見役が3人、与力が5人だったようです。
屋敷は200~240坪あったようで、それぞれ槙垣で囲まれていました。
かつて槇は水を呼ぶといい、防火の役目をしたので生垣によく使われていたそうです。いかめしい土塀や木塀が続くのではなく、柔らかい表情の槇垣がいいですね。
祭日に国旗を掲げる御家が少なくなりましたが、感謝の気持ちが感じられます。
同心町は、和歌山街道と平行に続くお城に仕える武士たちが住んだ町でした。松阪は1588年に蒲生氏郷が、城を築き町割りをして城を中心とした武家屋敷と楽市楽座を開いて町屋をひろげ、寺町を作りお寺を集めるという城下町です。当時、織田信長が作り上げた安土城下を手本に考えたといわれています。