松阪・豪商の道
![三井家](https://web.archive.org/web/20170417232416im_/http://matsusaka-machiaruki.jp/wp-content/uploads/2012/12/d6f3f785e5ee0a11954cf801d230bbea-300x225.jpg)
特別に許可を得て「三井家発祥の地」へ入ることができました。これは大変貴重なことです。
![三井家5](https://web.archive.org/web/20170417232416im_/http://matsusaka-machiaruki.jp/wp-content/uploads/2012/12/3cb38d59fd09cd3e43f80d6ef3ba7acc-300x225.jpg)
三井高利は 1673(寛文13)年 松阪から江戸に呉服屋を出店(屋号=越後屋, 後の三越)し、現金掛け値なし、 反物は切り売りするなどの当時としては、斬新な手法を導入して、江戸中で大評判となり繁盛した。さらに京都では、両替商も兼業し、 江戸時代における三井家の事業の柱となったのです。
![三井家3](https://web.archive.org/web/20170417232416im_/http://matsusaka-machiaruki.jp/wp-content/uploads/2012/12/a479dac92d8e9abc4c449bd795f12652-300x225.jpg)
五輪塔とそれについての説明が書かれた石のプレートです。この五輪塔は、三井家の菩提寺であった白粉町の来迎寺から1956年に移されたもので、三井高利翁の父母と祖父母の供養塔です。 また、三井家は藤原の流れをくむ武将から商家になり高利の母、殊法の商才が三井家の隆盛に寄与したことが書かれています。当時は、酒と味噌を売っていたことから「越後殿の酒屋」と呼ばれ後の「越後屋」の淵源になったようです。
![三井家6](https://web.archive.org/web/20170417232416im_/http://matsusaka-machiaruki.jp/wp-content/uploads/2012/12/44930e4b6ffaf62f57b19e143478a276-300x225.jpg)
三井高利公が産湯をつかったという井戸が残っています。