新上屋跡
江戸時代の伊勢街道に面した松阪市日野町にあった旅籠・新上屋に宝暦13年(1763)5月25日泊まっていた賀茂真淵を魚町の町医者・本居宣長が訪ねました。紹介状もなかった宣長を真淵はあたたかく出迎え彼の『古事記』研究の意志を励まし、自らの学問の全てを教示することを約束しました。この夜のことを松阪の一夜といいます。
宣長が「先生は『万葉集』しか研究なさらないのですか。私は『古事記』を読もうと思います。いかがでしょうか」 真淵先生は、「よいことに気づかれた。私は『万葉集』だけで一生が終わるが、あなたは若い。まず、『古事記』を読むためにも『万葉集』を勉強しなさい。学問は基礎が大事。低いところを経て高きに登れるのです。」
現在は、カリヨンビルという市民活動センターも入る複合ビルですが、和歌山街道との分岐点に近いこのあたりには本陣・美濃屋や馬問屋を始め旅宿が何軒もあったところです。
旅籠は既に無くなってしまいたが、場所は「新上屋跡」として、市の史跡指定を受け、現在は碑と山桜が植えられています。
たった一度、会って話をして「この人しか、師とする人はない」と宣長は思います。それは真淵も同じ「この男は将来が楽しみだ」
宣長は真淵の志を受けつぎ、三十五年の間努力に努力を続けて、つひに古事記の研究を大成しました。